8月6日

2003.8.6

先日東京の、ある50代の先生とお話ししている時、
その方が信じられないようなことを口にされました。

「えっと、広島の原爆の日って、8月10日だったっけね・・・」

え???
でも・・・広島以外の方の意識って、案外そんなものなんでしょうか・・・

ちょっと暗い話題なんで、今までここにも書いたことないけれど・・・
今日だけは書こうと思います。

うちの父は昭和20年、その当時18歳・・・広島に下宿していました。

戦争も敗戦色が強くなったその頃、召集礼状・・・

とても生きて帰れまいと、故郷の山口の島に一旦帰省しました。

そして8月6日・・・
広島方面にものすごい閃光が走ったのを見たそうです。

3日後、列車に乗って広島へ・・・

列車は廿日市という駅から不通となり、線路を歩いて
広島に向かったそうです。

線路を歩きながら見た広島の町・・・何もなくなり
見渡す限りの廃墟と化していたそうです。

あちこちの川べりで、たくさんの死体を積み重ねて焼いていたそうです。

父が下宿していた家にようやくたどり着くと、
そこの娘さんが女学校の学徒動員からまだ帰ってない・・・
との事でした。

娘さんを探しに、そこのお父さんと2人、市内を歩き回ったそうです。

やっと探し当てた娘さん・・・全身が焼け爛れ、虫の息だったそうです。

戸板に乗せて家まで連れて帰り・・・でも数日後には亡くなりました。
可愛くて、気立ての良い娘さんだったそうです。

この年だけで、14万人の方が原爆で亡くなったのです。
ものすごい数です。

私は経験したわけではないけれど、
毎年この日だけは、父に原爆の話を聞いています。

広島に住む人間として、語り継ぐ義務があると思っています。

広島の人間でなくても、被爆国である日本に住んでいることを
どうか日本中の人に忘れないでいて欲しい・・・

それから、世界の中で1番、平和を願う人達であって欲しい・・・

8.未分類 | コメント

Comments are closed.